当事者ではないでは済まない?
仙台市青葉区で、また痛ましい幼児虐待事件が起きている。母親が2歳の幼児を丸3日
以上放置し、帰宅後に息をしていないと通報し、幼児の死亡が確認された。当然母親
は逮捕となったが、これも幼児虐待事件だ。しかし、今迄取り上げられた事件の様に
児童相談所は世間からの批判を受けていない。
今回の事件は、母親が一種の育児ノイローゼになっていたかのように報道されており、
死亡した幼児に体の傷や痣があったとか、毎日の様に泣き声が聞こえた等と言う虐待
を匂わせる証言が出ていない様だ。ただ、乳幼児定期検診を受けさせていなかった事
は分っており、それに対して役所からの接触にもある程度応対していたとの事だ。
そもそも、胃の中が空っぽになるほど何も食べさせていなかったという事だが、それ
で悩むほど育児を行っている筈が無いではないか?幼児はもう泣くこともできないほ
ど衰弱していたのかも知れない。だからご近所の人も異変に気付かなかった可能性も
ある。
そして、今回「当事者ではない」と思われる友人・知人はどうだろう?聞けば、育児
に疲れて一人になりたかった」と、僅か2歳の子供を放置して知人宅を渡り歩いてい
た様だが、その時点で知人は被疑者が子供を同行していない事を不審に思わなかった
のか?何か事情を訊いて、打てた手があったのではないか?
確かに過去の幼児虐待事件を見ても、異変に気付いて警察や児童相談所に通報したし
た人もいる。しかし、そんな人は第三者から関係者になってしまう。そんな関係者は
子供を救えなかった事に、一般の人よりもはるかに大きな後悔とか悔しさを抱え込む
ことになるだろう。
被疑者が身を置いていた知人も、気の毒だが第三者から関係者になってしまった。今
後は当事者ではないにしろ、関係者になってしまう事件が多くなる世の中になってし
まうのだろうか?幼児虐待のニュースは一向に減る気配が無い。周囲はそれだけ気を
付けなければならなくなっている中、救えた関係者になる事件も起きて欲しくない。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。