23年前の鮮明な記憶
1月17日5時46分、阪神淡路大震災が発生してから今日で23年
改めましてお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します。
合掌
あの日の記憶は鮮明に残っています。
当時、私は広島で勤務していました。
マンションの9Fの部屋で一人、大阪への出張のためいつもより早く起きて、
フジテレビの「めざましテレビ」を観ながら、朝食のパンを一口かじった時に
揺れを感じました。
時刻は5:48です。
パンを口にくわえたまま、部屋の隅に移動して背中を壁にピッタリ付けて
揺れが収まるのを待ちました。
その時の震度は3でしたが、9Fと言う事もあったのでしょう、とても3
とは思えませんでした。
テレビでは直ぐに地震の発生を伝え、続いて大塚キャスターの「大きな被害は
ない」とのアナウンスにホッとしたものです。
しかし、10分もしないうちに複数の火災の発生が映像と共に伝えられ、さらに
時間の経過と共に明らかになる、横倒しになった阪神高速、倒壊したビルの姿
大阪支店に電話しようにも、通常自でさえ6時半ごろに出勤している社員など
いるはずも無く、携帯電話も普及していない時代にどうしようもありません
でした。
直ぐに支店長の自宅に電話したところ、寝ていて気が付かなかった支店長は
私に促されてテレビのスイッチを入れて「おい!なんやこれは!」
直ぐに所員全員の自宅に連絡し、直ぐに出社するように指示がでました。
当然、大阪への出張は中止となりました。
その後、本社、名古屋支店、岡山、高松の営業所と連絡をとりながら、地元
下請け業者の方から申し出があった救援物資提供などの対応にあたりました。
あれからもう23年も経ちます。
あれ以降も東日本大震災をはじめ、各地で大きな被害をもたらす地震が発生
しています。
建物の耐震規準等は見直されましたが、全ての建物が適合しているわけでも
できるわけでもありません。
阪神淡路大震災をきっかけに、3日間、自分の命は自分で守る事が必要と
なりました。
また最近大きな地震の発生が予想されたり、今まで想定されていた以上の
被害がでる可能性が指摘されています。
そして昨年末から地震の回数が増えているようです。
皆さん、今日を機に災害に対する気持ちを新たにしましょう。
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