それ、おかしいやろ? 一言物申すブログ

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今年も終った

本日早朝、博多祇園山笠のフィナーレ「追い山」が終りました。
今年で777年目、歴史の重さを感じます。


山は毎年7月1日に一般公開され、その後9日間は全く動きません。
「静」の時間です。


7月10日の「流舁き」から舁き山が動き始め、11日早朝の「朝山」、
午後の「他流れ舁き」、12日の「追い山ならし」、13日の「集団山見せ」、
14日の「流れ舁き」と進み、15日4:59スタートの「追い山」でフィナーレ
となります。



期間が半月もあること、そして早朝4:59にスタートする祭りは全国にも珍しい
でしょう。


よく新聞などで「ワッショイ!ワッショイ!の掛け声も勇ましく・・・」等と
書いてありますが、あれは嘘!「オッショイ!」これでなければ力は入らない
そうです。
そして、勢いがついてくると「オイサ!オイサ!」になります。



博多祇園山笠2018 追い山ならし



7月1日の初日から15日に向かって徐々に動き始めますが、15日の追い山が
終った後は、山笠を奉納された櫛田神社では「鎮めの能」が行われます。



10日間かけて静から動へ徐々に盛り上がった博多の町は、追い山で僅か1時間半程度
のピークを迎え、そこから一気に動から静へと戻ります。
私はこの鎮め能が大好きなんです。


そして、この能が舞われている最中、それぞれの流れに戻った山はあっという間に
解体されてしまいます。
これが博多の男の潔さだと思います。


博多祇園山笠の起源については諸説ありますが、鎌倉時代の仁治2年に博多で疫病が
流行した際、承天寺の開祖であり当時の住職である聖一国師(円爾)が町民に担が
れた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したこと
を発祥とするのが通説です。


そのため、素戔嗚尊を祭る櫛田神社の例大祭でありながら、臨済宗の寺院である
承天寺と、明治元年に神仏分離令が発布されるまで、東長寺に属する神護寺が櫛田神社
を管理していたことから、真言宗の寺院である東長寺の2つのお寺も前にも「清道旗」
が設けられ、そこで全ての山が拝礼を行います。


山を止める事無く「台上がり」が、鉄砲(赤い筒のような指揮棒)を真横にして掲げ、
頭を下げる姿は、博多の男の「粋」を感じます。



今年は山笠期間中に西日本の広範囲で大きな災害が発生しました。
今後はこの様な災害が発生しないよう、厄災が祓われていればと思います。


健夏山笠


北海道には、博多祇園山笠振興会が唯一認めた「北の山笠」があります。
芦別市の健夏祭りでの「芦別健夏山笠」です。


炭鉱の町であった芦別が、人口も減り町に活気がなくなっていた頃、たまたま
博多の祇園山笠を見た人が「自分の町でもやりたい」と思い、仲間を募って
始めたもので、最初はベニヤ板に絵を描いた山車を鉄骨で組んでいたそうです。


その後博多に挨拶を済ませて教えを受け、今では博多の山笠と変わらない運営が
なされています。



土地柄による違いはいくつかありますが、その年の1番山が清道で山を停めて
祝い目出度(博多祝い唄)を歌うところまで同じ・・・


毎年7月第3土曜日が「追い山」です。



昔、東京から出張で芦別にあるダムに行った時、打ち合わせ終了後にダム職員の方に
山笠のお話しをしたところ、「よくご存知ですね?」と言われたので、「私、実は
福岡の人間です」と言ったら、その後1時間以上も山笠の話で盛り上がりました。


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